にはちが死んだ
2015年7月18日(土)午前8時半、じぃちゃんが死んだ。
病名は「肺炎」。
いわゆる老衰ってやつだ。
91歳。
大往生である。
不死身な気がしていたんだよね。
まさか本当に死ぬとは。
「じぃちゃんが死んだら宴会するわ」
この台詞も、じぃちゃんの不死身感が言わせていた台詞だった。
昨年末から「そろそろ危ない」と言われてて
なんだかんだ寒い日々も蒸し暑い日々も乗り越えた。
家族みんな口々に「じぃちゃん、やりおるな…」と言っていたのだ。
大正、昭和、平成という激動の時代を駆け抜けてきた じぃちゃん。
あの戦争も生き抜いたのだから、生命力は半端なかった。
海兵だったころ、マレーシアから泳いで帰ってきたじぃちゃん。
台湾で休んでいるときにパンツを盗まれた。
それ以来、台湾嫌い。
当時の人としては、背が高くてスラッとしていた。
じぃちゃん曰く「若い頃はブイブイ言わせた」らしい。
競艇が好きで
お洒落が好きで
歌が好きだったじぃちゃん。
場末のスナックに通い
特製肥料で野菜を作り
台湾バナナで怪しい特製元気ジュースを作る。
米寿お祝いの東京旅行。
遠足前日の子供のように緊張して眠れず、
睡眠導入剤+風邪薬のコンボで、違う世界にトリップしてたこともあった。
大好きなLARKの空き箱で東京スカイツリーを作ったのは良かったけど、
出来たものは「東京スカイズリ」だった。
話し出したらキリがないくらいの思い出がある。
病院でもじぃちゃんは人気者だったらしい。
夜中にこっそりウィスキーボンボンを食べ、むせて結局見つかって怒られる。
板チョコを持って行くと、1枚ペロリと平らげる。
カップラーメンも毎日食べていた。
91歳だもの。
好きな物食べて死ねばいいやん。
みんなそう思っていたから止めなかった。
止めた所で聞かないじぃさんだった。
粋で、お洒落で、しゃーしくて、寂しがりで、強がりだったじぃちゃんは、
最期は男らしくひとりで逝ってしまった。
看護師さんがじぃちゃんの手にチョコレートを持たせていたのが泣けた。
次の週に「丑の日」を控えた、7月18日土曜日 3連休初日。
繁忙期に迷惑をかけないよう、タイミングを見計らって逝ったじぃちゃん。
誰もが口々に「空気読んだね、さすが商売人」と言った。
そして、じぃちゃんの骨は91歳と思えないほどしっかり残っていた。
あなたが居なくなってもうすぐ100日です。
そろそろ宴会しましょうか。
トンデモじぃさんだったけど。
私はあなたが大好きでした。
じぃちゃん、人生卒業おめでとう、91年間お疲れさま。
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