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「じさま」

2017年11月17日(金)11:55、じさまが死んだ。
ここ1か月半ずっと覚悟してきたことだったとはいえ、悲しくて泣いた。

ひょうきんで、話がうまくて、イタズラっ子。
手先は器用なのに、飲んだくれで、ばぁちゃんとよく喧嘩をしていた。

膝の上で面白おかしい昔話を聞くのが好きだった。
年末になると、しめ飾りを作ったり
栗の木の枝を削って箸を作ったりするのを見るのが好きだった。

焼酎の牛乳割りを作って置いとくもんだから
間違って飲んでしまったことがあったけど
今思えば、あれもきっとイタズラだったんだろう。

そんなじさまが、50代で大病を患い、右半身不随になった。
私が小学校5年生のときだ。
その日から、じさまのお風呂介助が私と妹と母の仕事になった。

不機嫌に接したことの方が多かったような気がする。
爪切りだって、失敗して何度深爪させてしまったか分からない。

そんなときは、ちょっとだけ痛そうな顔をして
それでも笑顔で「よかよ。おおきに。」と言ってくれたじさま。

「末期の肝臓がんです。もって2か月です、年は越せないでしょう。」
少しずつ、でも急速に衰弱していって、水も飲めなくなって、点滴も入らなくなった。

ばぁちゃんにも、息子にも先立たれ、
住み慣れた唐津を離れて福岡で過ごした29年間はどんなものだったんだろう。
思い残すことはなかっただろうか。
幸せな思い出と共に、満ち足りた気持ちで安らかな最期を迎えてくれただろうか。

どんな状況になっても、怖くても、くじけても、悲しくても、立ち向かうしかないんだよ、と、
最期まで変わらぬ笑顔を残して逝ったじさま。
帰ればいつも変わらぬ笑顔で居てくれたじさま。

優しくて強かったあなたが居ない部屋は、
寂しくて、少しだけ冷たい感じがします。

みんな、じさまが大好きでした。
じさま、82年間お疲れさま。
笑顔でありがとう。

にはちが死んだ

2015年7月18日(土)午前8時半、じぃちゃんが死んだ。
病名は「肺炎」。
いわゆる老衰ってやつだ。

91歳。
大往生である。

不死身な気がしていたんだよね。
まさか本当に死ぬとは。

「じぃちゃんが死んだら宴会するわ」
この台詞も、じぃちゃんの不死身感が言わせていた台詞だった。

昨年末から「そろそろ危ない」と言われてて
なんだかんだ寒い日々も蒸し暑い日々も乗り越えた。
家族みんな口々に「じぃちゃん、やりおるな…」と言っていたのだ。

大正、昭和、平成という激動の時代を駆け抜けてきた じぃちゃん。
あの戦争も生き抜いたのだから、生命力は半端なかった。

海兵だったころ、マレーシアから泳いで帰ってきたじぃちゃん。
台湾で休んでいるときにパンツを盗まれた。
それ以来、台湾嫌い。

当時の人としては、背が高くてスラッとしていた。
じぃちゃん曰く「若い頃はブイブイ言わせた」らしい。

競艇が好きで
お洒落が好きで
歌が好きだったじぃちゃん。

場末のスナックに通い
特製肥料で野菜を作り
台湾バナナで怪しい特製元気ジュースを作る。

米寿お祝いの東京旅行。
遠足前日の子供のように緊張して眠れず、
睡眠導入剤+風邪薬のコンボで、違う世界にトリップしてたこともあった。
大好きなLARKの空き箱で東京スカイツリーを作ったのは良かったけど、
出来たものは「東京スカイズリ」だった。

話し出したらキリがないくらいの思い出がある。

病院でもじぃちゃんは人気者だったらしい。
夜中にこっそりウィスキーボンボンを食べ、むせて結局見つかって怒られる。
板チョコを持って行くと、1枚ペロリと平らげる。
カップラーメンも毎日食べていた。

91歳だもの。
好きな物食べて死ねばいいやん。
みんなそう思っていたから止めなかった。
止めた所で聞かないじぃさんだった。

粋で、お洒落で、しゃーしくて、寂しがりで、強がりだったじぃちゃんは、
最期は男らしくひとりで逝ってしまった。
看護師さんがじぃちゃんの手にチョコレートを持たせていたのが泣けた。

次の週に「丑の日」を控えた、7月18日土曜日 3連休初日。
繁忙期に迷惑をかけないよう、タイミングを見計らって逝ったじぃちゃん。
誰もが口々に「空気読んだね、さすが商売人」と言った。
そして、じぃちゃんの骨は91歳と思えないほどしっかり残っていた。

「じぃちゃんが死んだら宴会するわ」

あなたが居なくなってもうすぐ100日です。
そろそろ宴会しましょうか。

トンデモじぃさんだったけど。
私はあなたが大好きでした。
じぃちゃん、人生卒業おめでとう、91年間お疲れさま。

にはち焼き

23日は、土用丑の日だった。

私の実家はうなぎ屋なので、
こりゃあもう商売繁盛を期待していたわけだけど、
日曜日ということと、雨という最悪なお天気で、客足が伸びなかった。

じぃちゃんが焼くうなぎはどこのお店のものよりも美味しい!
俗に「にはち焼き」と呼ばれている誰にも真似できない焼き方。
じぃちゃんの味を求めて、わざわざ遠くから買いに来てくれるお客さんもいる。

「ひらき3年、串打ち5年、焼きは一生!」
82歳になっても、焼きに関してはまだまだらしい。

そして家も晩御飯はうなぎ&うな肝吸だった。

今日の切手:
うなぎの切手は持っていない、と去年も書いた・・・。
今年もまだ持ってない。うなぎの切手ってあるのかなぁ?